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対人・問答編

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川面凡児についてご紹介したいと思います

対人・問答編

●001 男はいざというとき起たねばならぬ
  日本の武道はその根源が神道にあるので、神道のあらゆる秘事を究めつくした先生には、武道の奥義や相撲の手などがよくわかっていた。ことに青年時代は武道に凝られたので、体躯が小さい割合に腕力があった。よく家にいる松澤氏に向かっては「人はめったに喧嘩をしてはならぬが、男はいざという時には起たねばならぬ」と鞍馬流八段のそなえということを教えられた。(伝記)


●002 乾物店の乱暴者に対して 
  ある時先生は、谷中美崎町の佐原という乾物店に入っておられると、なにぶん頭は河童のような髪で、それにようかん色の紋付羽織といういでたちなので、店に居合わせた乱暴者がさんざんに侮辱したものであった。先生は店の主人に向かって「この男は近所のものか」と聞かれたが、そうでないとのことにたちまち猛然と突進して、電光石火、みるみる火の出るほど打ちすえて、逆手のまま交番に突き出されたことがあった。(伝記)


●003 オルコット氏 
  明治26年の頃、イギリス人で有名な仏教の研究者オルコットという人(神智学協会といわれている)が来朝した。オ氏はロンドン郊外に仏教会館を建て、世界的名声があったから、東京においては各宗総合で音羽の護国寺に歓迎会を催した。しかるにこのオルコット氏は、ある講演会の席上で、世界地図を示し、言葉のあやであったか「日本はこんなに小さい国だ」と放言した。むろん日本は小さいに相違ない。そうしてまだ日清戦争前であったから、氏が日本人を丸呑みにしてかかったのに無理もないが、これを聞いていた先生にはグッと癪にさわった。
  先生は突然立って針を示し、「足下は日本を小さいと言われるが、小さくともこれが呑めるか、呑めるならば呑んでみよ」と言い放った。満堂騒然、真に寸鉄殺人とはこの時のことであったろう。オ氏は一言もなかった。
  その後オルコット氏はまたどこかの講演中に不遜な言葉があり、しかも日本を侮辱した点があったので、先生は聞き捨てならずと、控室で詰問し、人々からなだめられて済ましたこともあった。このことは先生の生前に詳しく伺ったことであるが、淑徳の現校長藤田氏の話では、伝通院境内の浄土宗々学本校において、姉崎博士の通訳で講演があったということだから、あるいはその時のことかもしれない。(伝記)


●004 ダンマパーラ氏
  これも淑徳時代の明治29年のころ、インドからダンマパーラという高僧が来朝した。立場は違うが、今のタゴール氏などよりも、ずっと内観的な修行のできた人で、色黒く、たけ高く、おごそかな顔をして、マントのような服をつけていた。この人は後アメリカでも一か年間伝道につとめ、フランスやドイツ、イタリーでは、東洋学会に出席して、その識見を示されたほどの人物で、東京では、仏教各宗の連合で、歓迎会を催し、芝の紅葉館に招待したのであった。
  その以前ダ氏は野口氏を通訳として一場の講演を試みたが、大いに自分の神通力をほこり「世界中を巡遊してみたが、あまり大した人物にも合わなかった。殊に自分の修行した宗教上の行力においては世界のいずこにもその人がない」と、自分の各地で試みた実歴談を語り、果ては反身になって読心術の講義まで始まったのである。
  それで座にあった蓮池先生(川面先生)は黙止できず、それではとて、ダンマパーラ師を自分の面前に座らせ、その胸中に思うことを一々指摘して説明された。するとダ氏は面色にわかに変じ、今まで投げ出していた両足を曲げ、正しく日本流に端座して「ああ、日本にもこんな羅漢がいたのか」と叫んで、恭しく先生に向かい礼拝し、その後紅葉館における仏教各宗連合会の歓迎会にも「あの若き羅漢様はどうした」と繰り返し訊ねたのであった。(伝記)


●005 村上濁浪氏
  明治35年創刊された「成功」雑誌は天下を風靡したもので、その社長村上濁浪氏はこの頃毎日来訪される一人であった。氏は司法官を志して上京勉学されたが、中途にして宗教の一派を開く決心で、天下の名士と交わり、且つ禅門の高僧について印可を受けておられた。しかるにその頃谷中には不思議な仙人ありと聞き「一行者輩何かあらん」の意気で先生と対面されたが、最初からさんざんにへこまされて大敗北で帰っていかれた。しかしその後は何とかして先生の教義を打破せんものと手を変え品をかえて他流試合に来られたが、いつも先生には歯がたたなかった。
  ある時お辞儀して座を立とうとすると「汝何処に帰る」「本郷弓町に帰る」「古人すでに道(い)うあり」というような問答が頻発し、電光石火、ほとんど毎日のように闘ったものである。
  それで三崎町の家は恰も禅寺のようで、時々上の方から本物の禅僧が問答を見に来られたものであった。ある日先生が熱心に読書しておられると、濁浪氏は「寒時寒殺し熱時熱殺す」と言いながら、先生の手に巻煙草の吸殻を乗せてフウフウと吹いたものである。しかるに先生は相手の知らぬ間に炭火に挿し込んでおいた火箸を取り出し、片手に濁浪氏の右手をつかみつつ「熱時熱殺す」とジリジリ焼きつけたので、氏は悲鳴をあげて逃げ帰った。しかしそれから濁浪氏はいよいよ熱心な信者となられ、後年の稜威会にとって忘るあたわざる後援者となられたのである。(伝記)


●006 欧米留学の学者
  久しく欧米に留学したある大学者が来訪して曰く「大日本世界教というから少しは進歩した教えかと思ったが、やはり神壇あり、鏡あり、真榊あり、かびの生えた古き形式に囚われているではないか、神は別に神壇に祀っておがまなくとも、大宇宙間に充満しておるではないか」
  先生答えて曰く「よろしい、形式を排するならば、請うまず足下自身という形式を打破しなさい。更に地球という形式、太陽系統という形式、宇宙という形式を打ち破ってごらんなさい。足下自身を打ち破らんとしてもその破るというその事がすでに形式、座りおることが形式、立って行くことが形式ではないか。いわんやわが国の神壇に祭るヒモロギ、イワサカは、大宇宙の中心分派を表徴したもので、世界各国、これ以上に大宇宙の神ということを形において表わしえたものはない。また御鏡は球体の宇宙を二つにした半面を表わす。形式何の不可かあらん。また神は宇宙間いまさざるところなし。しかるに天にいます、心にいますというのは何事であるか。天や胸ということが必要なれば、御社の中にいますというて何のいけないところがあるか…。(伝記)


●007 門人某
  ある日門人某氏は先生に向かって曰く「先生のお説きになる教学は、深淵宏博、到底一朝一夕で会得することは出来ません。難解のところは今日聞いて明日はもう忘れてしまいます。しかし私は先生の大宗教、大哲学よりもその実行方面を通じて深い信仰に入ることが出来ました」と語った。
  先生答えて言われるには「君は多幸な人である。君の前途は洋々として春の海のようで一道の光明は今君の上に輝いている。考えてみよ。この大宇宙間の万有、億々兆々計り知られざるものの中、君は苟も生を人身にうけ、天下国家をその分に応じて経綸するの立場にある。そうしてその多幸なる人間の中にあって、世界無比の道を問いつつあるということは実に千載一遇の幸運児といわねばならぬ。神を本位としていえば、君は幾多の人間中より選ばれし神の寵児である。また君を主としていえば、自ら進んでこの幸福を獲得する向上的先登第一の奮闘児である。かかることは過去の幾世にわたってかむながれに流れ来った因縁であるが、また偉大なる神の摂理であることを感謝せなければならぬ」と。(伝記)


●008 太神の実在
  ある人問うて曰く「先生のおかげで、平日の煩悶は漸く減じましたが、まだ真実太神の実在せらるることを感得することはできません。私の頑愚なことは承知しておりますが、どうか教えていただきたい」。
  先生曰く「人間をはじめこの宇宙間のあらゆるものはみなその身の体内に宝珠を持っておる。これはその根本魂たる直霊(最高潜在意識)であって、神と同質のものである。それでどんな人でも神を思うの思想を有し――平素は思わなくとも歓喜の絶頂、悲哀のどん底、生死の巷に立てば必ず念う――この心の奥の奥の直霊を透して神を拝するものである。人に貴賤賢愚、学不学の差別はあっても、この直霊を持たぬものはない。君も朝夕に拝神し、怠らずたゆまず振魂をしておれば、自然心の中なる直霊を開発して、太神を拝することが出来る」(伝記)


●009 神様は妄念ではないか
  またある人問うて曰く「先生の仰るように神様を拝むとかまたは神様を感得するなどということは、必竟一場の妄念妄想ではありませんか」
  先生厳然容を正して曰く「君は今君自身がどこから来てどこに向かって去りゆくかを知るか。憐れむべし。ただ母体を出て、墓場に向かって去るを知るくらいであろう。しかもその形骸的君の身体が、現によくものを思想し、言語を発しているのは何故であるか。太神は常に君の前にも現われておられるが、ただ君自身が自ら眼を閉じて拝まないままである。もし霊覚を開き直霊眼をもってすれば、明々白々これを拝み得るのである。君自身がすでに神の分身分体ではないか。君はまだよく自己の心意さえ見るあたわず、どうして神を拝むことができよう」(伝記)


●010 ある無神論者
  ある日一人の無神論を標ぼうする客が来て、雄弁滔々と先生を詰った。「およそ世の中に、神と宇宙ほど厄介なものはない。神や宇宙があればこそ、人間万有も出来、従って貴賤貧富があり、栄枯盛衰があり、生病老死がある。もし神と宇宙がなければこんな世知辛い人生に生まれて来る不幸もなかろうに、思えば神と宇宙が恨めしい。こんな恨みある神に向かって何の感謝が起きようか」と。
  先生微笑をもらし曰く「神や宇宙、あったって何の妨げもないではないか」
 「いや大いにある。生老病死、大いに人間に妨害だ」
  先生曰く「そうか。しからば何の遠慮もない。君の力で神と宇宙を叩き壊せ。君の意のままに除き去れ。それが出来なければやはり宇宙に服従せよ」無神論者は返す言葉もなくして逃げ去った。(伝記)


●011 無為論者
  客あり、先生に議論を吹きかけて曰く「およそ世の中は、思うもつまらない。言うもつまらない。何事かを為すもつまらない。無為にして化するがよい」と。
  先生曰く「君の言うようだと、つまらないということもまたつまらないではないか。無為にして化するということもまたまたつまらないものだ。それでは言うことも、思うことも、無為にして化することも出来なくなるので、君はその身を如何に処せんとするか。そもそも無為にして化するとは何事であるか。これまた一種の思いである。言葉である。無為ということを思いつつ、言いつつ、化することを為しつつあるものと知らぬか。人間は何事か思い、何事か言い、何事か為さねばならぬ。何事か言い、何事か思い、何事か為さねば一日も暮らされるものでない」客頭をかいて去る。(伝記)


●012 懐疑的独断派
  客あり大いに先生に皮肉って曰く「世間には宗教者とか哲学者とかいう物識り連中があって、やれ人生はどうだ、宇宙はこうだと並べ立てるが、五尺の小躯で、宇宙の無限大、人生の不可思議を思議し得べきものでない」と。
  先生曰く 「君のような懐疑的独断派は、昔も今も東洋にも西洋にもあるが、宇宙万有が徹底的不可解のものとせば、人間ははじめより研究の門を開かぬものである。研究なければ太古より今日まで何等の進歩なく発達もない。人事はもちろん星宿の軌道、彗星の運行なども判然とせないものだ。しかも人間は万事万物、これ不可解なりとして放擲し去ることは出来ない。一事一物といえども疑念存する間はこれを解かねば安んずることは出来ぬものだ。宇宙万有を不可解というは何を持って証明するか。不可解ということがすでに不可解と解釈したる君の独断ではないか。宇宙万有果たして不可解のものとせば、宇宙万有の何物たるさえ判然せないとともに、またそれの不可解なることすら判然すべきものではない。怪しみ疑う念だに発する余地がない。すでに怪しみ疑うの念生ずるときは、疑う点だけ判然し得たもではないか。これ解釈の門の開きそめたるときである。不可解なりというときは、これ不可解のものと解釈し得たるものなるとともに、その人必ずや智識の浅薄にして、堅忍努力の足らざる人たることを知られるのである」と。(伝記)


●013 フランク・ハイエット翁
  オーストラリアの大預言者で、彼の地でクリストの再生と呼ばれておるフランク・ハイエット翁は英文通信記者木の下乙市氏とともに先生を訪問した。大正14年3月15日のことである。
  フランク氏によれば、人間は植物動物の上に第三階上の生活を送っているが、自分の指導する方法によれば、第七階級の上層まで達し、その霊智はクリストや釈迦とも、直接話し合うことが出来る。自分は1880年に、神から世界を回れと命ぜられ、今より46年前から霊感を受けるようになった。
  先生はこの珍客を迎えて大いに歓待して曰く「貴下はだいぶ出来る人と見えたり。〜貴下はこの家がはじめて訪うた思いなく、却って、わが友、わが故郷の家に帰りたるごとき、なつかし味を感じらるるであろう。またわれを見てはじめて面会した人でなく、十年以上の友というよはりも、むしろ竹馬の友か兄弟かの如き、親しみを感じおらるることと思う。 
  〜天体にスバルという星座がある。日本では七つ星というが、支那では昴座という。肉眼には七つしか見えぬが、その星座の奥の奥の奥まで星があって、まだ望遠鏡に入らないほどの星もある。この星座の中に、人間の言葉でいえば、紅の星があり、緑の星がある。ある時代に、われは紅の星に生まれ、君は緑の星に生まれ、わが紅の星に、常に遊びに来られた。そうして貴下は緑の星でも、紅の星でも、腕白者で、わがまま者で、すべての人々に厄介ばかりをかけておられた。しかし貴下は一面禽獣を愛し、よき事を積まれたので、この人間世界に生まれ来りては、その善根の報いが現われ、一見したところでは、さまで金子のある相格ではないが、おそらくは、富豪者であるに相違ない。
  〜われは貴下とは反対に、紅の星にありてすべての天人と仲良く暮らしたのである。正直に寛容にして、人と争うことがなかったのだ。その報いでこの人間世界に生まれては、十五歳以後は、父母の手を離れて、貧窮にのみ暮らしつつ、今日もなお貧窮しつつあれども、われより人々に申し込みことなきも、神の御守りと、人々の同情とによって、何ら苦しみなき、罪なき、清き美しき、お米お粥と野菜とで暮らすだけは安穏である。われと貴下とは、こういう天上界における昔の契りで、今夕相会合したから、その親しみが、われ等両者の胸に流れ通うので、わが家が貴下の家のごとく思われるのである〜。
  今度は先生より翁に向かい 「貴下の頭に黄金の宝冠が落ちかかって横様にかかっているのはどうしたことか」といわれると、翁は驚き、「貴下の眼にはそれが見えるか、実に驚きいったことである。自分のいうクリスト意識に達すれば、人間にして神と一致した最上級の七階段に登った時で、そこにしてはじめて宝冠を与えられるのである。自分には昨年の夏にこれを与えられた天啓に接したが、それを見ることはできなかった。言わるる如く冠は宝玉と、金色と、空色である。この冠を得た人は、再生して王となり現世に救世主となる」と語るのであった。(伝記)